市報にいがた 令和元年10月6日 2704号 5面
最終更新日:2019年10月6日
みなとまち新潟 歴史探訪(26)
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川でつながる新潟の産物~梨の話
新潟市域には多くの梨の産地があります。最も早く栽培が始まったのは享保年間(1716年から1736年)の茨曽根(いばらそね)(南区)といわれています(「新潟県園芸要鑑」)。現在新潟の代表的な特産物で、かつて「幻の洋梨」と呼ばれた「ル レクチエ」の栽培も、この地で明治後期に始まりました。
梨の産地は文化年間(1804年から1818年)までに月潟・大郷(だいごう)・新飯田(南区)、二本木・両川・茅野山(江南区)、木崎(北区)などに広がり、信濃川・中ノ口川・小阿賀野川沿いの河川敷の村々で盛んに栽培されました。新潟の梨は北前船で北海道・東北・山陰・九州地方へ売り出され、名物となりました。
幕末ごろ、信濃川の中州の島だった礎町(中央区)付近には梨が多く植えられ、「梨島」と呼ばれました。安政6年(1859年)、ロシアのジギット号の船員は新潟町で梨を2貫(7.5キログラム)買って船に積み込みました。慶応3年(1867年)のイギリス船サーペント号の来港時にも、新潟奉行所の役人たちは梨で乗組員を接待しました。今も昔も梨は紛れもない新潟の特産品なのです。
ル レクチエ
信濃川河川敷の梨畑(大郷橋付近)
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