市報にいがた 令和2年7月5日 2722号 5面
最終更新日:2020年7月5日
みなとまち新潟 歴史探訪(35)
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ここに鎧潟(よろいがた)ありき
西蒲区巻の県農業大学校近くに「ここに鎧潟ありき」と記された石碑があります。旧巻町・旧西川町・旧潟東村にまたがって存在していた鎧潟は、江戸時代後期には約1,500ヘクタールもある大きな潟でした。潟べりの人々は洪水や湛水(たんすい)に苦しみながら米作りに励みました。収穫量を増やすためにヤチ(潟べりのアシなどの茂み)を開墾し、潟底の土を田に積み上げるなどの努力を続けました。舟を利用した稲刈りも行われました。
人々は潟でコイ、フナなどの魚やカモ、ガンなどの野鳥を捕らえ、ヒシの実やレンコンなどを採り、食料や売り物にしました。また、潟は舟を使った交通路であるとともに、釣りや水浴びなどを楽しむ絶好の遊び場でもありました。
昭和33年(1958年)から国営鎧潟干拓建設事業が実施され、潟の干拓と後背地の排水改良が図られました。同41年(1966年)に鎧潟はその姿を消し、潟は広大な水田へと生まれ変わりました。人々の生活と密接に結び付いた豊かな潟であった鎧潟は、今では日本有数の穀倉地帯となっています。
鎧潟での舟遊び(昭和37年4月 潟東歴史民俗資料館蔵)
現在の鎧潟干拓地と石碑
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