市報にいがた 令和2年11月1日 2730号 5面
最終更新日:2020年11月1日
みなとまち新潟 歴史探訪(39)
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福島潟の干拓の歴史
福島潟は、江戸時代前期には水面が約5,800ヘクタールとの記録もある、とても大きな潟でした。
享保16年(1731年)に阿賀野川が現在の流路になると、潟周辺に干上がり地ができ、旧豊栄市中心部の多くの村が成立しました。これ以降、潟の西部を中心に開発が本格化し、山本丈右衛門による開発や、市島徳次郎など「水原13人衆」による開発が進められました。潟の排水を促す河川改修や干拓する場所を土手で囲んで水を抜く方法、潟の中に堤防を築く方法などが実施されましたが、土木技術の限界もあって全面開発には至らず、戦前までは開発者が入れ替わりながら小規模な開発が続けられました。
昭和36年(1961年)、新井郷川排水機場の完成によって潟の水位が下がり、昭和43年(1968年)から始まった国営干拓事業では、潟の北側が遊水地として残されました。現在、福島潟の面積は262ヘクタールとなり、オオヒシクイやオニバスなどの貴重な動植物が数多く生活する自然の宝庫となっています。
現在の福島潟
寛政2年(1790年)の福島潟の開発状況(「寛政二庚戌年福島潟絵図」北区郷土博物館寄託、個人蔵)
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