市報にいがた 令和3年1月3日 2734号 5面
最終更新日:2021年1月3日
みなとまち新潟 歴史探訪(41)
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「地図にない湖」 ~亀田郷の今昔
美しい穀倉地帯が広がる鳥屋野潟南部地域は、公共施設や商業施設、工業団地などが次々と開発され、発展する新潟の姿を見せています。この地域を含む信濃川・阿賀野川・小阿賀野川などに囲まれた低地「亀田郷」は、江戸時代には「横越島」と称され、大部分が「芦沼(あしぬま)」と呼ばれる低湿地でした。
当時から有力農民などによる新田開発が進められ、人々は腰まで水に漬かる深い田で懸命に米作りを行ってきました。近代になっても、村単位で小型排水機を設置したり、河川改修を行ったりするなど、排水に努めました。しかし、ひとたび洪水が起これば、全ての努力が水の泡となってしまいました。
昭和23年(1948年)に完成した栗ノ木排水機場がこの地域の水位を下げ、さらに大規模な土地改良や区画整理などが進んだことで、亀田郷は美しい穀倉地帯へと変貌しました。現在は栗ノ木排水機場に代わって親松排水機場が毎秒60m3の排水量で常時稼働し、地域を水害から守り美しい環境を維持しています。
田舟を使った稲刈りの様子(本間喜八氏撮影・新潟市歴史博物館提供)
東洋一といわれた栗ノ木排水機場(亀田郷土地改良区蔵)
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