市報にいがた 令和3年9月5日 2750号 5面
最終更新日:2021年9月5日
みなとまち新潟 歴史探訪(49)
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「新潟」の登場
「新潟」という地名は太古の昔からあったわけではなく、今から500年前ごろに登場しました。高野山清浄心院(こうやさんしょうじょうしんいん)の記録によれば、永正17年(1520年)に「新方(新潟)」の人が寺に供養を依頼しています。これが今のところ「新潟」という地名の最も古い記録です。
それでは新潟はどこにあったのでしょうか?魚沼市弘誓寺(ぐぜいじ)の不動明王座像底部の墨書銘によると、この仏像は「越後国蒲原郡平嶋之郷(へいじまのさと)新潟津」の不動院の本尊で、永禄9年(1566年)に造られたとあります。不動院は現在も西堀通(中央区)に存在し、前出の記録では天文9年(1540年)ごろから新潟の住民の供養の取り次ぎ役をしています。
「平嶋之郷新潟津」の「平島」という地名は、西川と信濃川の合流地点に今もあります。近くには焼鮒(やきふな)(西区山田)や逆(さかさ)ダケの藪(やぶ)(中央区鳥屋野)など、親鸞聖人(しんらんしょうにん)来訪の伝説の地もあります。つまりこの頃の新潟は、西区の平島付近にあった川湊(かわみなと)の町であったと考えられるのです。
戦国時代の新潟の位置
魚沼市弘誓寺不動明王座像墨書銘(渡辺康文氏撮影)弘誓寺所蔵
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