市報にいがた 令和3年6月6日 2744号 5面
最終更新日:2021年6月6日
みなとまち新潟 歴史探訪(46)
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復興のシンボルとなった市陸上競技場の炬火(きょか)台
新潟市陸上競技場の炬火台は火焔(かえん)型土器の形をしています。そのデザインのきっかけは、昭和39年(1964年)に開催された前回の東京オリンピックにありました。
昭和34年(1959年)、夏季オリンピックの東京開催が決定すると、長岡市出身の小説家・松岡譲(ゆずる)は火焔型土器の形の聖火台を提案しました。残念ながらこの提案は採用されませんでしたが、オリンピックと同年の6月に初めて新潟県で開催された、第19回国民体育大会(国体)の主会場である同競技場の炬火台にこの案が採用されたのです。炬火台は、徳昌寺(とくしょうじ)遺跡(長岡市)や馬高(うまたか)遺跡(同)から出土した土器を参考に制作されました。
国体開会中に火がともり続けていた炬火台は、閉会から5日後の6月16日に発生した新潟地震でひび割れ、傾いてしまいました。その後、10月1日にオリンピックの聖火が新潟県入りすると、補修された炬火台に再び火がともりました。その火は地震で被災した市民に新潟国体の感動を呼び起こし、炬火台は復興に向けたシンボルとなったのです。
点火された炬火台(新潟国体開会式)
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