受賞者
第5回安吾賞
ドナルド・キーン 日本文学・文化研究者
前人未踏と言っていい。碧い目の太郎冠者の視線はいつも「日本人の忘れもの」に向いている。源氏物語に目を見張った青年が、戦時中に日本兵の遺品の日記を解読し、詩情溢れる日本人の日記は文学たり得ると喝破した。そして、軍属の規律に反すると知りながらも、その日記をできることなら日本の遺族に送り届けたいと願ったという。
碧い瞳は更に日本文化の奥深くに注がれ、定家にも世阿弥にも、芭蕉、曽根崎心中にも分け入って、ついに日本文学を英語に写しきって世界に紹介した。
若きキーン氏には異境に対する恐れはなかったのだろうか。自ら太郎冠者となって舞台に立つほどであれば、希有な挑戦者に違いない。そしてまた百代の過客、永遠の旅人でもある。
ドナルド・キーンさん受賞コメント
大変私が安吾賞を受賞するとの報せを受けて、喜びと驚きの両方を感じました。喜びの方はもちろん立派な賞を頂けることへの嬉しさですが、驚きの方は、私が坂口安吾の文学を翻訳したこともなければ研究したこともなかったからです。
しかし、すでに受賞された方々のお名前を見ると、安吾文学の専門家ばかりではなく、それぞれの分野で特徴のある仕事で認められた人々と分かりました。それでも少しの驚きは残っていますが、私を選んで頂いたみなさんに深く感謝しております。
(2010年10月 東京都北区の自宅書斎にて)
略歴
1922年、ニューヨークに生まれる。
16歳にしてコロンビア大学文学部に入学。フランス文学、中国語、日本語、日本思想史などを学び1942年卒業。在学中アーサー・ウェイリー訳『源氏物語』を読み感激し、後の日本文学研究の端緒となる。
同年アメリカ海軍日本語学校に入学、太平洋戦争中日本語通訳官を務める。
戦後、コロンビア大学大学院へ復学。日本文学研究に取り組み、博士号取得。1948年からケンブリッジ大学で学び同時に講師。1953年から2年間京都大学へ留学。1955年からコロンビア大学に迎えられ教鞭を振るう。以降休暇等で度々日本を訪れ、現在まで日本文学、日本文化に関する著書を多数発表。
コロンビア大学名誉教授、アメリカ・アカデミー会員、日本学士院客員。勲二等旭日重光章受章、文化功労者、文化勲章。菊池寛賞、読売文学賞、毎日出版文化賞など受賞多数。
第5回新潟市特別賞
月乃光司 「こわれ者の祭典」代表
会社員、芸術家、義士、善良な市民、人間は何某かの正しき衣を纏っていなければ生きづらいらしい。しかし、身にそぐわない衣は一層苦しく、心を蝕むことがある。安吾にもそんな時期があった。世人の視線にまみれて、もがき傷ついた瀕死の兵士のような重苦しい衣を、見事に脱ぎさった月乃氏の背中にはどうやら羽が生えたようだ。安吾を落伍者の先輩と呼びながら、堕ちきった場所から見えたことを世の中に押し返している。
月乃光司さん受賞コメント
絶望の真っ暗闇の中でも、目を凝らせば透けて見える明日があると思います。
おおむね、私は社会的な落伍者としての人生を歩んできました。十代の「引きこもり」「不登校」、二十代の「自殺未遂」「依存症」「精神科病棟入院」…、当時は明日の見えない日々に苦しみ抜いていました。
二十七歳、依存症の当事者グループと出会い、それを命綱として少しづつ、回復への上昇が始まりました。
今思い起こしてみると、落ちきったところから本当の自分の人生が始まった、と感じています。
坂口安吾を落伍者によるメッセージ活動の先駆者だと思っています。
「堕ちる道を堕ちきることによって、自分自身を発見し、救わなければならない」(堕落論)この言葉こそ、現代の我々にもっとも必要なメッセージなのかもしれません。
私は、落伍者としてのメッセージの方法を日々模索しています。
私がもっとも興味あるところは、安吾が世間や社会、そして日本に向けてメッセージを放ったところです。
依存症の当事者グループの枠を乗り越えて、対社会そして対世間の活動をしていくことが、なんといっても私の目標です。
言葉の銃弾を世の中へ撃ち込みたいのです。
言葉は散弾銃です。割れた銃弾が無数に飛び散り人々の心に届くこと、そんな活動をしたいのです。
1年間で3万人を超す人々が、自ら命を絶つ私たちの国へ向けて…。
今回の受賞を励みとして落ちきった世界から見える希望を、多くの方々に伝えていきたいと思っています。
略歴
1965年2月3日生まれ 富山県出身・新潟県新潟市在住
高校入学時から対人恐怖症・醜形恐怖症により不登校になる。引きこもり生活、通算4年間を過ごす。24歳よりアルコール依存症となり、精神科病棟に入退院を繰り返す。27歳から酒を飲まない生活を続け、自助グループ活動で社会的に回復する。平成14年より、心身障がい者のパフォーマンス集団『こわれ者の祭典』代表として8年間に50回以上のイベント開催を行い、県内や全国のマスコミ、テレビ番組に取り上げられ、大きく注目を集める。また、新潟日報にコラム『心晴れたり曇ったり』を平成14年から5年間連載。最近では、漫画家・西原理恵子さんとの共著『おサケについてのまじめな話』(小学館)を刊行するほか、ラジオ番組のパーソナリティを意欲的に務めるなど、様々な活動を通じ、社会で生きることがつらいと感じている人々に力と勇気を与えている。