受賞者
第3回安吾賞
瀬戸内寂聴 作家・僧侶
一番会いたかった作家は坂口安吾だと言った86歳の乙女の瞳はきらきらと煌めいていた。
安吾が「堕ちよ!生きよ!」と宣言した「堕落論」が氏の人生を変えたという。
プロデビュー作品における表現描写が過激だとして当時批判されるなど苦境におかれながらも、旺盛な創作活動を展開し、女流文学賞授賞など作家としての地歩を築いた。
しかし、1973年、51歳にして「現世」をあっさり捨て出家する。
彼女にとっての出家とは、決して世捨て人になるのではなく、女でもなく男でもない、社会人でもない見地から人間を見直すことだったのではないだろうか。
どちらが彼岸か此岸か、そのどちらをも行き来しながら、「生きる」ということを独自の眼と筆致で解き明かし、今や名調「寂聴節」は世間を明るく救う。
「負」を背負い「負」を笑う、誠に天晴れなり。
その生きざまは、「オンナ安吾」を名乗るにふさわしい。
瀬戸内寂聴さんコメント
安吾さんの飾らない文章、むだのない文章に非常に力強いものを感じて、ひきつけられました。私は『堕落論』の教えるところに従って家を飛び出しました。
ですから、私が今日あるのは、小説家としてこうして皆様の前に立てるのは、すべて『堕落論』の影響です。
覚えきれないほどいろいろな賞をいただきましたが、今までもらったどの賞よりもうれしいと思いました。伝統に反対し、権威に反対し、自分の心の命じるままに動いていけばいいと安吾さんは私に教えてくれました。そのとおりに生きてきた結果、この賞にめぐりあえて本当に感動しております。
第3回新潟市特別賞
近藤亨 こんどう・とおる
NPOネパール・ムスタン地域
開発協力会理事長
新潟で生まれ、新潟で農業を覚え、その技術を携えて、ヒマラヤの奥地に住み、現地で農業指導をすること三十余年。ネパールの特産果樹ジュナールの品種改良に成功し、世界で初めて標高四千メートルの高地での水稲栽培に成功し、現地の人々が見捨てて荒野となった広大な農地を、リンゴやアンズの果樹林に再生させた。
また、ムスタン地域開発協力会理事長として、新潟を中心とする日本全国の人々に呼びかけて、ヒマラヤ山麓に多くの小学校や診療所を建設してきた。
近藤亨が歩いてきた道は、今後、誰も踏み越えることができないだろう。すでに古稀を過ぎて、なおもチベットとの国境に近いムスタンの地に定住する。近藤亨は夢を夢のままにしないで、実現してきた男である。馬に乗り、果樹を剪定し、メロン、トマト、西瓜を育て、人知れずヒマラヤに骨を埋めようとしている。
農業は世界言語である。リンゴの枝の剪定に言語の違いは無い。近藤亨は自らの実践でそれを教え、ネパールの人々の生活を支えてきた。過酷な自然に囲まれたヒマラヤ山麓。そこで生きること。生き延びること。そのことのために、まず優れた農業技術を。近藤亨の生き方と彼の語る言葉はシンプルである。
真理を語る言葉はシンプルである。まさに、安吾賞(新潟市特別賞)にふさわしいだろう。
佐々木幹郎(詩人)
近藤亨さんコメント
この度、奇しくもかねがねお慕いしていた異色の郷土作家坂口安吾氏の遺徳を称えての『安吾賞』第3 回新潟市特別賞のお話をいただき、誠に感激に耐えぬ次第でございます。本賞を制定下さった新潟市長篠田昭様並びに市民の皆様本当に有難うございました。
「ふるさとは語ることなし」
この言葉を最も深く体験している者の一人と自負しているこの老爺は、本賞を御受けした後、再び秘境ムスタンへ旅立ち、彼の地で寒冷と強風に苦しみながら、奉仕の日々を送るのです。そして折につけて望郷の憶いに暮れながらまたこの名言を口ずさむことでしょう。「ふるさとは語ることなし」と。本当に有難うございました。
ヒマラヤの空逝く雲よ伝へてよ
ふるさとを恋ふ燃ゆる憶ひを
平成20年8月19日