受賞者
第1回安吾賞
野田秀樹 劇作家・演出家・俳優
安吾賞創設の宣言文に、『権威におもねらない、本質を提示する、反骨と飽くなき挑戦者魂を発揮し、現代の世相に「喝」を入れ、日本に元気と勇気を与えた人』とある。選考委員一同が頭を抱えたというこの難しい賞を演劇人野田秀樹さんが射止めた。
劇団夢の遊眠社で80年代の若者に絶大な共感を得たが、92年人気絶頂の時期に突然劇団を解散、名声にくるりと背を向けて演劇の本場英国に留学してしまう。帰国後、既成の手法にとらわれず「野田流」とも言える演劇手法でシリアスなテーマに果敢に挑戦し日本の演劇シーンをリードしてきたが、03年の英国公演(RED DEMON)では酷評される。しかし、その「痛手」がさらに野田演劇を深めることになった。本年(06)、再挑戦した英国公演(THE BEE)が成功を収め、新聞雑誌を賑わせ日本に明るいニュースをもたらしたのだ。奇しくもこの安吾賞選考の時期にあたっている。
55年、坂口安吾が急逝した10ヶ月後に生まれ自らを安吾の生まれ変わりと語る野田秀樹さんが、記念すべき第1回安吾賞を獲得したことを、天国の安吾も喜んでいるに違いない。
野田秀樹さんコメント
安吾との出会いは大学のころ。安吾は無頼はと呼ばれていたが、その生き様はとても現代人には真似できない凄みのようなものを感じていた。当時のアングラ演劇が陳腐に思えたものだった。安吾の原作で劇をやらせてもらった上に、賞までいただけるなんて、安吾に感謝したい。
新潟市特別賞
横田滋・早紀江
1977年、長女めぐみさんを北朝鮮に拉致されて以来、娘を救出するまでけしてあきらめないという不屈の精神に敬意を表し、また長い戦いを今も続けているご夫妻を応援する思いを込めて、新潟市特別賞をお贈りすることとなった。
横田滋さん・早紀江さんコメント
篠田昭新潟市長さんから突然のお電話をいただき、身に余る光栄で大変恐縮しております。
私たちは普通に生きているだけなので、このような賞をもらっていいものか躊躇いたしましたが、市長さんのお気持ちも考え、快く受賞させていただくことといたしました。
私たちはこの拉致事件を通じ、国が国民をどう守ってくれるのかということで活動を続けてきました。小泉首相(当時)が北朝鮮を訪問して、それ以降は国も積極的に取り上げてくれるようにはなりましたが、それまでは多少の危険も覚悟しながら、活動を続けてきました。
しかし皆さんの支援のおかげで、最初に新潟で救う会が結成され、それが現在では全国までに広がってきました。本当に今まで多くの人に助けられてきました。
これからも体の続く限り、皆さんに関心を持っていただけるよう活動をしていきたいと思います。
また私たちの受賞が拉致問題の一刻も早い解決につながればよいと思っています。